二宮尊徳神社

二宮金次郎(尊徳)(1787〜1856)は、小田原市栢山の生れで、少年期に父母を失いながらも勉学と荒廃田の復旧に努め家を再興させた。
「タキギを背負いながら本を読む。粉骨砕身の手本」の銅像は、戦前小学校の正門脇に必ずあった。


二宮尊徳は、藩の家老の家の財政を立て直し、やがて小田原藩の求めに応じ農村の救済、復興にあたった。再建仕法は収入をもとに支出をという厳しい倹約を説いた「分度の法則」である。
この評判を聞いて時の老中水野忠邦は、印旛沼の分水掘削、日光89カ村の復興などを実施させた。
小田原城内の二宮神社

二宮尊徳の「報徳思想と報徳仕法」は、封建思想を背景にしながらも明治維新後も引き継がれて農民の心をとらえた。それは大日本報徳社(静岡県掛川市)となり農村運動の骨格となった。

いまどき「粉骨砕身」は、若者に嫌われそうだが、土に根ざした「物づくりの思想」を忘れてはならない。