畑宿と甘酒茶屋

箱根一番の急坂「女ころばし坂」を登りきると畑宿にはいる。

「東海道名所記」には「・・・男力なく籠を借りて、になわれてのぼる。あまたの人みな馬より下りて、歩にていく者術ながりて、汗をながし、とち涙(大粒の涙)をこぼせも多し・・・・・」


畑宿は間宿で、箱根の寄木細工の里として名高い。幕末、村の石川仁兵衛が静岡から寄木細工の技法を持ち帰り広めたという。

さらに急な七曲りを越えると「おいが平」にでる。沿道に旧街道資料館、甘酒茶屋があり旅人のオアシスだった。「弥次さん喜多さん」の東海道中膝栗毛にもでてくる甘酒茶屋だ。昔は数軒あったというが、今は一軒だけでドライバー、ハイカーたちで賑わう。


この甘酒茶屋に残る言い伝えで、赤穂四十七士の神埼与五郎がここで馬方の丑五郎にケンカを売られた。
討ち入り前の大事さゆえ神崎はこらえて詫び証文を書いたという。

後日談があって、この話は三島宿で主人公は大高源吾ともいう。