悲運の山中城

箱根山西麓を一気に駆け下りると山中城址にでる。秀吉と家康連合軍と北条軍が血みどろの戦いをした戦場で、今は緑豊かな城跡公園である。


 天正十八年(1590)、ほぼ天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、自ら4万の軍勢を率いて小田原征伐に乗り出した。小田原城の西の守り山中城を守るはわずか4千の兵、鉄砲と圧倒的な兵力の前に城は半日で落城したという。


この城は、箱根山の自然を巧みに生かした土を使った山城で、石は使わず曲輪の造成、土橋を配置するなど400年前の遺構が残る珍しいものだ。なかでも障子の桟のように見える障子堀、ここは用水池を兼ねた水堀である。

秀吉は山中城を落とした勢いで小田原城も陥落させ天下を握るとともに、目の上のタンコブ家康を関東に追いやるという因縁の出兵であった。