高輪の大木戸跡
江戸の南口の大木戸は、宝永7年(1710)芝口門に建てられたのが最初で、その後享保9年(1724)現在地に移転された。
道の両側には、石垣がきづかれており、夜は閉めて通行止めにして江戸の町の守りとした。
京登り、東下り、伊勢参りなどの旅人は、ここで送られ、出迎えをうけた。東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんも同じだった。
<東海道中膝栗毛の引用>
二人おそろいの、蛤のむき身しぼりの浴衣の袖を吹き送る神風のお伊勢参りから、花の都(京都)から梅の咲く浪花(大阪)へと心ざして神田の家から出か
けたところ、早くも江戸もはずれの高輪の町に来かかる。
高輪へ来て忘れたることばかり
(江戸っ子が東海道の旅に出ると、たいてい高輪あたりで、あれこれ旅支度で忘れたことを思い出す)
さいわい、我々には何ひとつ忘れた物も気がかりもなし。
心がかりは、酒屋と米屋の払いをそのままにして、だしぬけに旅立
つてしまったこと、さぞや恨んでいるだろう。
現在は、幅 5.4m、長さ 7.3mの石垣が残されており、史跡として保存されている。
ここは多くの老若男女が、泣き笑いした舞台であり、物言わぬ石に問い掛けてみた。
「物言わぬ 石の面に 泣き笑い」

|