化粧坂の虎御前哀話

鎌倉時代、大磯の長者の家に娘が生れた。長じて遊女となり、舞の名手で知られた。
虎女は、「曽我兄弟の仇討ち」で知られる兄十郎祐成と恋仲となり契りを結ぶ。

化粧坂 化粧井戸


曽我兄弟は、父祐泰の死が工藤祐経の手によるものと知り、仇討ちを狙っていたが、建久4年5月(1193)源頼朝の富士の裾野の巻狩で、工藤祐経を斬り仇討ちを成し遂げた。
兄弟は捕らえられ殺されたが、十郎の妻虎女は、当時19歳で出家して信濃善光寺に赴いたという。
この物語は「曽我物語」の名で軍記物、仇討ちものとして知られ、関東武士の武勇を語り継ぐものとなった。また歌舞伎の演題としても知られ親しまれている。


化粧坂は当時の遊興街で、虎女が化粧したという井戸、延台寺には、虎御前が夫の霊を弔った庵の跡などがある。この寺には、大磯宿の遊女の墓4基があって、涙を誘う。